はじめに

自分史の考え方、書き方、効能など共通事項はホームに記載しています。

今城基の自分史の全体像(項目、項目別ページ数、項目別写真数、項目別リンク数、時代を見る)を一覧表にしてMotoi Imajoのホームページに掲載しています

シニアの生徒さんも自分史づくりにチャレンジして人間味あふれるページになっています (こちらへ)

今城基の自分史

想い出の写真で自分史を作ってみました

誕生・学生、家族・親戚、会社、家庭、定年後、OB会、ボランティアの7部構成にしています

 

父母は山口県出身で明治の終わりに生まれ、2人とも地元の西市郵便局に勤めていたこともありました。その後朝鮮に渡り父は電気通信の仕事(逓信省)をしていました。その関係で私は昭和13年に京城府で生まれました。昭和20年の秋に家族全員で釜山から興安丸で山口県の仙崎に引き上げてきました。父の実家(現在の下関市菊川町上田部)に身を寄せ翌年愛媛県伊予郡南伊予村宮ノ下の無線中継所(現在はNTTドコモ)に移り、最後は四国電気通信局で父は定年を迎えました

 

私は1998年7月末に60才で定年退職し、翌年4月にボランティア団体シニアネット横須賀を創設し2015年4月まで会長を務め、その後顧問として活動は続けています

 

この自分史は私の受け持つパソコン教室「シニアネットきさらぎ」のカリキュラムの一つとして2013年に生徒さんと一緒に各人の自分史を作ったものですが、私は今日も継続して

追記しています。自分史を作ることはこれまでの整理ができ、反省もし、これからどう生きていけばよいかヒントを与えてくれるので 皆さんにも自分史を作ることを勧めています

 

誕生・学生

父と母

父、哲夫は山口県豊浦郡豊東村(下関市菊川町) 上田部の戸主、原田傳三郎とキミの5男として明治41年 (1908)に生まれ、大正3年(1914) に豊浦郡西市の今城時信・タキの養子となる。

母、静子は豊浦郡西市の慶雲寺住職、田中貞遵・ヨ子の2女として明治39年 (1906) に生まれ昭和4年 (1929) 哲夫と結婚する。(写真をクリックすれば拡大します)

 

父 哲夫 (M41-H9)
父 哲夫 (M41-H9)
母 静子 (左) (M39-S58)
母 静子 (左) (M39-S58)
左右が父母と姉 左が高太郎夫妻 右が養父母
左右が父母と姉 左が高太郎夫妻 右が養父母
哲夫 6才 西市の養子先
哲夫 6才 西市の養子先

哲夫
哲夫
哲夫
哲夫
忘年会 (京城)
忘年会 (京城)
宮ノ下時代
宮ノ下時代

下関にて静子(右)19才
下関にて静子(右)19才
静子
静子
妹の貞子(左)
妹の貞子(左)
松田かめ(右)
松田かめ(右)

姉・自分(基)・弟

姉ハツ子は西市で生まれ田部高校を卒業、南伊予村の中継所に勤務、現在八千穂高原に居住

基は京城で生まれ神奈川大学を卒業、東芝ライテックに勤務、現在横須賀に居住、78才

弟斌は京城で生まれ九州大学を卒業、NTT本社に勤務、現在横浜に居住、75才

弟望は南伊予村で生まれ神奈川大学を卒業、日本情報処理開発協会に勤務、1994年死亡

 

姉 ハツ子 (S5-)
姉 ハツ子 (S5-)
本人 基 (S13-)
本人 基 (S13-)
弟 斌 (S16-)
弟 斌 (S16-)
弟 望 (S22-H6)
弟 望 (S22-H6)

幼年期

私の生まれた昭和13年の父は背広ですが、戦争中の18年は国民服を着ています。この時はまだ平穏でしたが20年の春以降はB29が飛来し高射砲を撃つているのですが届かず下の方で破裂していました。京城の近郊に住んでいたので20年秋に父の故郷に引き上げてこれました。出港した釜山港は沈没した船が多く記憶に残っています。

 

基 100日宮参り 
基 100日宮参り 
ハツ子11才 基3才
ハツ子11才 基3才
基5才 (恩平面の官舎前)
基5才 (恩平面の官舎前)
基6才 数え年
基6才 数え年

小学校時代

南伊予村宮ノ下から上野の小学校まで子供の足で片道約1時間、父の編んでくれたわら草履で通学、足に豆を作らないようぼろ布を編みこんでくれていました。時には牛車に乗せてもらいました。それからゴム草履になり、運動靴になったのは3年生ぐらいだったと思います。南伊予小学校には銅矛と銅鐸がありました。

小学校6年の時に父の転勤で香川県仲多度郡龍川小学校に転校し、ここを卒業しました。

 

松山中継所南伊予村宮ノ下
松山中継所南伊予村宮ノ下
中継所事務所前左が母と望
中継所事務所前左が母と望
右後 斌 右前 望
右後 斌 右前 望
南伊予小1年竹1946
南伊予小1年竹1946

南伊予小4年年松1950
南伊予小4年年松1950
日曜学校クリスマス1950
日曜学校クリスマス1950
学芸会運命の鐘小学5年
学芸会運命の鐘小学5年
香川県龍川小学校6年
香川県龍川小学校6年

中学校時代

父は1年で転勤になり松山市新浜町の市営住宅に移りました。

松山市立高浜中学校は坊ちゃん列車の走った高浜から一つ目の梅津寺の坂の上にあり、職業の授業で山の畑に植えたサツマイモに肥えを担いで行ったのはしんどかった。修学旅行で京阪神に行く関西汽船で出された生卵付きカレーライスは初めてで美味しかった。

高浜中学校を卒業した仲間が19年ぶりに道後温泉の旅館で再会しました(2011年)

 

修学旅行東大寺 1954
修学旅行東大寺 1954
京都御所
京都御所
関西汽船 明石丸
関西汽船 明石丸
最後の遠足は松山城
最後の遠足は松山城

最後の教室村井先生
最後の教室村井先生
 新山先生
 新山先生
皿が嶺1954
皿が嶺1954
中島キャンプ1954
中島キャンプ1954

高校時代

愛媛県立松山北高等学校は松山城の北にあり、港山から電車通学した。部活で柔道をしていたが柔道着を盗まれて親にも言えず退部した。修学旅行は九州と東京の2コースあったが東京行きに参加した。秋山好古が校長であったことは小説「坂の上の雲」が映画化された後に知りました。

第1回高浜中の同窓会
第1回高浜中の同窓会
松山北高修学旅行 1956
松山北高修学旅行 1956
3年善永先生 1957
3年善永先生 1957
受験用
受験用

大学時代  

愛媛県大洲出身の衆議院議員米田吉盛が創設した神奈川大学の入試が12月に松山であり

合格。2年間寮生活、寮は2人部屋で仙台出身の谷地森君と一緒になった。その後は妙蓮寺の個人宅で下宿させてもらった。ゼミは東北大から来られた宇田新太郎教授 (八木・宇田アンテナの発明者),私大では珍しい少人数のゼミであった。卒論はテレビの色再現、美しく鮮明に見せる手法の研究をした。宇田ゼミの卒業旅行で先生と一緒に箱根に行ったのが想い出

 

神奈川大学入学1958
神奈川大学入学1958
宮面寮同室者 谷地森君
宮面寮同室者 谷地森君
箱根遠足 1959.10.
箱根遠足 1959.10.
塩原温泉寮仲間 1961.6.
塩原温泉寮仲間 1961.6.

宇田新太郎研究室コンパ
宇田新太郎研究室コンパ
宇田研卒業旅行 1962
宇田研卒業旅行 1962
松山市港山 裏山で花見
松山市港山 裏山で花見
松山 1966正月
松山 1966正月

↑↑ 宇田新太郎先生御生誕100年記念行事の写真ほかをOB会に掲載しています

家族

家族 (松山時代)

ハツ子結婚 1963
ハツ子結婚 1963
哲夫
哲夫
静子
静子
哲夫静子1962元旦
哲夫静子1962元旦

田中浩道さん来松山
田中浩道さん来松山
裏山から瀬戸内海を臨む
裏山から瀬戸内海を臨む
中川久枝さん来松山1960
中川久枝さん来松山1960
松山市新浜町の自宅
松山市新浜町の自宅

松山時代の父
松山時代の父
松山時代の母
松山時代の母
勤務中の父
勤務中の父
勤続30年表彰 前3列目左4-5番目が母と父
勤続30年表彰 前3列目左4-5番目が母と父

父と斌1959
父と斌1959
母と望 別府へ
母と望 別府へ
父と母 別府観光
父と母 別府観光
別府地獄めぐり
別府地獄めぐり

今城松田家の結婚式の朝
今城松田家の結婚式の朝
斌と佳枝さんの結婚式
斌と佳枝さんの結婚式
披露宴
披露宴
今城哲夫の挨拶
今城哲夫の挨拶

今城・隅田家の結婚式
今城・隅田家の結婚式
望と順子さん
望と順子さん
新婚旅行の見送り
新婚旅行の見送り
母と順子さん
母と順子さん

 

誕生・学生☛ (家族・親戚)

 SNY-KISARAGI
SNY-KISARAGI
アストロメリア
アストロメリア

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Version 2
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企画・制作

今城 基

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更新日 2017年 9月 7日

開設日 2013年 1月30日